西郷隆盛(南州)『人事を尽くして天命を待つ』複製画【B3840】・掛軸 掛け軸・書画 新品 表装済み 桐箱収納 書画 ことわざ ■現品限り
Item Number 23
商品の詳細 作家名 西郷隆盛(南州) 作品名 人事を尽くして天命を待つ 技法 複製画 表装サイズ 縦180×幅50 (cm) 絵寸 縦120×幅31 (cm) 新品 表装済み 桐箱収納 【作品解説・掛軸】【人事を尽くして天命を待つ】尽人事俟天命自分の全力をかけて努力をしたら、その後は静かに天命に任せるということで、事の成否は人知を越えたところにあるのだから、そんな結果になろうとも悔いはないという心境のたとえ。
【作者略歴】■ 西郷 南洲(西郷隆盛)■西郷隆盛は文政10年(1827年)12月7日薩摩藩士として鹿児島加治屋町に生まれた。
通称吉之助、南洲はその号である。
若くして、藩主島津斉彬に重用され、幕末内外多難の際、大いに国事に奔走したが、これに関連して奄美大島に流されること2回。
元治元年(1864年)許されて京都に上るや、朝廷の意を重んじて一旦は長州を敵としたが、後、木戸孝允と謀って薩長連合を結成し、慶応3年(1867年)12月ついに王政復古の大業を成就、その後も官軍の参謀として大功を樹て、明治維新の基礎を確立した。
その間、高橋泥舟、勝海舟、山岡鉄舟等の請を容れて江戸城の無血開城を実現、江戸を戦禍から救ったことは余りにも有名である。
その後は、故郷に退隠したが、明治4年(1871年)正月、三条実美以下新政府首脳の懇請を受けて上京、参議に就任し、廃藩置県その他近代国家建設のための主動的役割を果した。
然るに、明治6年6月いわゆる征韓論が閣議に上るや断乎反対して、大使派遣による平和的修交を主張し、その決定を見るに至ったが、後欧米出張から帰国し、内治優先論を固執する岩倉具視、大久保利通等の反対に敗れて辞官帰郷。
私学校を興して後進青年の育成に努めた。
明治10年2月当局者の謀に激した私学校生徒に擁せられて西南の役となり、転戦7ヵ月余、ついに敗れて城山に自刃した。
9月24日、享年51歳。
そのため一時逆賊とされたが、明治22年2月、明治天皇の特旨により賊名を除かれ、正三位を追贈された。
【掛け軸寸法・体裁】■寸法 縦180×横50(cm)■絵寸法 縦120×横31(cm)■表装 丸表装■本紙 紙本■軸先 木製■箱 桐箱収納■複製作品 他の◆西郷隆盛(南州)◆作品を検索西郷隆盛(南州)『人事を尽くして天命を待つ』複製画・掛軸 掛け軸・書画
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駿河 ・ 静美洞画廊 |
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64,380円(税込み) |